私がソウルに行った日、韓国でのコロナ感染者がピークの日だったらしい。
これは2月末のお話しです。
その時の韓国は、日本以上にコロナウイルス感染者が出ていて、日本国内ではまだ「エンタメは厳しいかな~」ぐらいの世の中だった。海外渡航も「不要不急の渡航は控えろ」ぐらいなもんで、まだこの時は帰国後2週間隔離しなければいけないという制限もなかった。
そんな中でも「韓国へ行ってくれ」という連絡が入った。飛行機が飛ぶ限り、手配が出来る限り、依頼のある限り、私の仕事はあった。しかしこれがあと1週間遅ければ、帰国後に2週間ホテルなどで隔離されていたので、本当にギリギリのタイミングだった。
連絡は当日で、「今晩行かれます?」というものだった。日中は別の仕事をしていたので、早めに上がらせてもらって帰宅して準備して空港に向かった。しばらくは海外に行けないだろうな~なんて思いながら空港に着くと、やはり普段よりも人が少なかった。欠航の文字が並んでいて、海外っていつでも行かれると思っていたが、そこには厳しい現実が広がっていた。
アクスタも防護服着る時代。
羽田→仁川、なぜ深夜便があるんだろう。
というぐらいに、隣国韓国への深夜フライトはしんどいスケジュールだ。深夜2時発で早朝4時着。チェックインの始まりも23:30で、羽田での時間が有り余っていた。普通に9時から働いていた日だったので、飛行機乗った瞬間に即寝た。
しかし機内食には本能で起きた。隣りに人もいなかったので横になって寝ていたが、本能で起き上がった。CAさん2人にも驚かれたが、意地で機内食を食べた。
朝4時に到着した。日本と韓国の間に時差は無く、今日の睡眠時間は2時間もなかった。
確かに深夜便ではあったが、仁川空港には怖いぐらいに乗客がいなくてビックリした。
入国審査もすぐに通され、待機列が無いというのは安心だった。そういえば、羽田のセキュリティーチェックも全く並ばなかったな。
税関に少々手間取ったが、5:30に無事仕事を終えた。この仕事では2回目のソウル、韓国の税関の仕組みもやっと分かって来た。
こんな時だったし、早朝対応だったので、デイユースなどでのホテル利用は会社OKを貰っていた。帰国までの約8時間、ひとまず寝たかった。
空港内の仮眠施設に向かったが、クローズだった。まあこんな時期なので納得だ。
ホテル代は請求出来るとは言え、他のホテルだと普通に1泊代取られるようだったので、仮眠は諦めて街に出ようかなとか思った。次いつ来られるか分からないので、今のうちに見ておきたいと思った。
それも叶わなかった。街に出るまでの電車が、限られた時間でしか運航しておらず、見事に逃した。街に出るには、タクシーに乗るしか無いようだった。
でも、これで良いんだと思った。
見えないウイルスと戦う中で、未然に防ぐことは何よりも大切だ。仕事とは言え、日本から来た保菌者かもしれない奴がのうのうと街に現れ、ウイルスを広めてしまう可能性はあった。しかし電車を動かさないことによって、その危険から1つ逃れた。これで良かったのだ。そして私は、自分の考えの甘さを改めさせられた。
こんな未来都市みたいな駅から出発する電車に、いつか乗りたい。
相も変わらず時間は有り余っているので、無料の空港シャトルで行かれるスーパーに向かった。
シャトルバスから見える景色が、韓国のサバンナだと思っている。
前回の韓国は泊まりで、空港近くのホテルに泊まっていた。その時に見つけたスーパーを目指した。もう日本では入手困難のマスクとかアルコール除菌液とかが、普通に欲しかった。
そういえば前回は、嵐御中の布告を受けてから5日後とかで、とにかく心が○んでいた。部屋で呑みながらポロポロと泣いていた記憶…
やっと忘れられるようになったけれど、まだまだ全然ツラいし、いよいよ目の当たりにしなきゃいけなくなるよね。
この辺りには、スタバと見間違うバーがあったり、
ただ広いだけの公園がある。
前回700円ぐらいで激ウマのビビンパを食べた食堂も、クローズだった。
それでも、スーパーが営業していたことはありがたかった。
いかにも外国のスーパーなカートを押せて楽しかった。
割高かもしれないが、マスクや持ち歩きサイズのアルコール除菌液が売っていた。Wi-Fiも繋げたので、母にLINE電話をかけながらマスク等の相場を確認した。日本の物と若干形が違ったが、「人にうつさない造り」が日本マスクで、「人からうつらない造り」が韓国マスクの特徴らしかった。
さらに勉強になったのは、アルコールを意味する韓国語を覚えたことだ。Sanitalizer(消毒液)表記だと正直不安なところがあり、アルコールなのかノンアルコールなのかがウイルス対策には必要だった。韓国語に「%」が付いていたらだいたいアルコール度数だろうと予測が付くが、成分表を見てもどれがアルコールなのかが分からず、そこで便利なのがiPhoneの韓国語キーボードを使った上でのGoogle翻訳だ。
英語(日本語)→韓国語で検索をすると、
アルコールを意味する韓国語は出て来たが、しかしこれは「酒」という意味に近いような気がした。
ここで、韓国語表記で「アルコール」を指すっぽい単語を、韓国語で入力してみる。韓国語のキーボードはすぐに入れられる(iPhoneユーザーより)
エタノールだと分かった。そうか、アルコールではなくエタノールで良いのだと分かった。それから「에탄올」を頼りにアルコール除菌ジェルを探し、自分用・家用・職場用のアルコール除菌ジェルを入手出来た。入社以来一番貢献できた気がしてならない、この時期にウイルス対策グッズの差し入れだ。
韓国語の入力、とても楽しい。記号の組み合わせで出来ているようなものなので、記号を見たまま字を作り上げていけば文が完成する。ゲーム感覚でとても楽しいので是非。
一部店舗は営業されていたが、お店で食べることに抵抗があったので、お昼ご飯はスーパーで買った総菜で済ませた。それでもキンパ(韓国海苔巻き)は食べられたし、満足している。
家族用のマスクは、黒で統一された。猪狩くんが黒マスクの人なので、春のEXに向けてピタッとマスクから布マスクまで黒で用意した(が、公演は幻となった)。
家では母も黒布マスクしてるぜ。
特に何もしなかったが、というか出来なかったが、フライトの時間となった。空港では、世界各地のマスクを見ることが出来て面白かった。防護服を着ている一般の方もいたが、髪の束がはみ出していて気になった。
空港、かつてないほどに空いていた。
上司に頼まれた韓国コスメ3本を免税店で購入したら、おまけで2本ついて来て笑った。3本の値段で5本買ってこれたので、免税店のおかげで私の株が爆上がりした。
仕事を終えてからフライトまでの8時間、流石に買い物だけでは時間が潰せなかったので、大半を空港で過ごした。エポスカードで利用できるラウンジで作業したり、ダンキンドーナツ食べたり、無駄に端から端まで行ってみたりしたが、それでも時間が有り余っていた。
今回の渡航で、ようやくプライオリティパスへの入会を決意したのであった。
この、世界が鎖国化したタイミングで。
ということで、ギリギリのタイミングで海外へ行ったお話しでした。冒頭でも述べたように、あと1週間遅ければ日本帰国後に隔離される運命だった。まあ、そんな状況では仕事は受けていなかったとも思うが。
制限がなくても、帰国後の生活はもちろん気を使った。極力家に引き籠ったし、出社が許されたのもきっちり2週間が経った頃だった。
今では入国が許されない国も増え、ハンドキャリーの仕事は3月以降完全に止まっている。6月になり国内の移動は制限が解除されていく方向だが、今月も国際の稼働は難しいだろうなという感じ。状況はずっと厳しい。一個人の収入という面でも厳しいので、国際物流の世界はもっともっと厳しい状況なんだろうなと察するほかない。頑張ろうとか簡単に言えないけれど、少しでも良くなるように……。
別の仕事で5月中旬に国内線を利用した時の羽田空港。こんなにも欠航が並んでいたのは、台風以来。
このハンドキャリーの仕事は個人事業主として稼働しているので、今回の持続化給付金の対象になっている。週末で申請を完了させた。私は個人事業としての収入が主であって、この感染症の影響はがっつり受けている。1月から始めた事務仕事はアルバイト契約で週2程度の就業だが、リモートで出来る仕事をしていて良かったと心の底から痛感した。ハンドキャリーの仕事が落ち込んだが、リモートでバイトをしたり、派遣で単発の倉庫仕事をしたりして繋いで来た。いろいろやっていて良かったと思うし、いろいろやることに抵抗がなくて良かったと思う。
もしこれが個人事業1本だったら、例え最高限度額の100万円が給付されたとしてもキツかった。そしてアルバイト1本だったとしても、シフトを増やすことは難しく、なんなら店舗自体が閉店していたかもしれない。特別給付金の10万円と休業中の6割の給料ではキツい。
何も私だけが厳しいわけではないが、そこそこ余裕も無くなったので、今後に備えてライターの仕事をもらったりした。もうほんとただの一般人が驚きなんですけど、ライターからのご縁でラジオ出演の話しを頂けたりしたので、悪いことばかりではなかったっすコロナウイルス。
………私をゲストに1本のラジオ番組が作られようとしている世界、何が起こるか分からないですね。
次回は、ラジオのお話しになるのかな。。